中小企業の経営者が如何に自立して立派であるか・・・
■生き様を賭ける中小企業の社長、面子を保つ大企業の社長
大手企業は何かと世間を騒がすと経営陣が揃って挨拶訓練をする。気を付けの姿勢で腰から頭の天辺まで一直線に伸び、角度も60度ぐらいで非常に挨拶訓練としては高い点数を出している。恐らく会見前にチーム挨拶訓練をしているはずである。そうしないとあそこまで複数人数の挨拶は揃わない。
型は心を宿すと昔から日本ではいわれる。しかしTVで観るからには心を宿した挨拶とは感じない。
記憶にあるところでは某銀行、某通販会社、某自動車等と一流企業と呼ばれる企業である。公的資金の投入、銀行からの債務免除、等その理由は様々だが、本当に経営者が責任を取った例がどのぐらいあるだろうか?会見でよく耳にする言葉は『再生を果たし、経営基盤をしっかり固め、後輩に譲る事が経営責任と考えている』とまるで、録音の再生みたいに多くの方が述べられる。
中小企業で同じ状況が発生し、後継者に譲る事が経営責任と考えている等と話したら、その時点で復活の道を塞がれるだろう。ましてや現実は経営責任を取る内容が違う。一流企業は一流と言われ、信用され、尊敬の念で見られるから、自分たちに厳しくなければならない。それなのに、経営責任を取らないとは何とも、言い尽くし難い事が起こっている。勿論それを決めるのは会社であるから、大きなお世話であるが、経営姿勢は商品である事を忘れてはいけない。経営者が責任を取るとは、一夜にして個人の資産を投げ出す事であり、これまで築いた信用も無くすと同時にその生活を強いられる事である。
■生き様は会社の繁栄の為に
かって、佐賀県に葉隠れうどんという地方の食品会社としては中規模でおいしい袋入りのうどんを製造販売している企業がありました。根強い人気あり、私は福岡の出身なので、よく子供の頃食べていました。しかしある一つの食品事故を起こしただけで、あっという間に倒産した。これが中小企業の現実である。
面子を削がれるぐらいなら、いくらでも削いでくれ。しかしそれだけでは終わらない。必ず、個人の債務保証がくる。あるI社長は若いが、必死になって恥を忍んで、体当たりして倒産を免れた。どうしても色々手を尽くしても決済資金として1000万足りない。政府系金融機関に頼みにいくが、その当時の貸し渋りで全く相手にしてくれない。明日、倒産かと思いがめぐる中、全く面識もない地元選出の代議士に連絡を取ろうとふと思いついた。直ぐに連絡をとり、秘書にあって窮状と貸し渋りの現状を訴え、理解してもらい、何とかピンチを脱した。
あるB社長は民事再生法の適用を受けた。民事再生法の適用を受けると金融機関からの借入は出来ない。常に現金で回していかねばならない非常に経営としては厳しい運営方法を強いられる。このB社長は恥も外聞も投げ捨てるだけはなく、性格を全く変えた。どんな仕事でも取る、どんな小さな繋がりでも仕事を取る鬼になった。あれから6年経ち、B社長から連絡があった。涙ながらに民事再生企業の終了を裁判所から認められたと本当に嬉しそうに話をされていた。
あるD社長は東北地方から学卒と同時に上京し、修行され、創業されて40強年になる。仕事は動物性の脂を扱う仕事で非常に重労働である。おまけに工場から出る臭い、音の事で近隣住民から槍玉にされていた。D社長は何十年も毎日欠かさず、朝6時から近隣の掃除、地域の公職を自ら買って積極的にやられた。言うことは容易いがやり続ける事は大変な事である。それでも自分の事業に誇りを持ち、努力をされ、現在では地域になくてはならない会社になられた。
私は中小企業に携わっている者として、中小企業の経営者が如何に自立して立派であるか、会社の継続繁栄を強く自分の生き様に反映させている事を誇りに感じます。ご覧の役員・幹部の方にご理解していただきたい。
それは生き様を賭ける中小企業の経営者、面子を賭ける大手企業の経営者の違いを通して、自社の経営者を見直して欲しい。そして、小さくとも自立して企業運営を行い、そこに参画(自ら考え、動き、責任を取る)している事を誇りと感じてもらいたい。更に自社の素晴らしさを社員に・家族に伝えていただければと強く思う。